自己紹介⭐︎
私は幼少期から中学2年生まで青森県十和田市に住んでいました。小さい頃、クラスの女子はみんな色白の友達が多かったのに私だけ色黒が際立ってました。笑 その頃から日焼けを気にして近くにスキー場があっても行かないほどでしたが、部活でテニスを始めてからは日焼けを気にすることなく楽しい中学生活を送っていました。
中学3年の春、両親の仕事で愛知県春日井市へ引っ越ししてきて一番驚いたのが地下鉄!こんな地下に電車もお店も沢山あって、電車もろくに乗ったことがなかった私には夢のようでした。短い春休みも終わり転入先の中学当時は10クラスもあるマンモス校で、青森から引っ越ししてきた子はどんな子だろう?というので引っ越してきた日の廊下には沢山の同級生が私を見に来ていました。言葉が訛っていたので、友達からは一緒にいると訛りがうつる〜と笑いながら言われましたが、自分では訛ってると思っておらず至って標準語を話していると思っていたのです。半年後に青森へ行き、友達との会話で「じゃんね〜って!おめ〜変わったな〜」と言われて私は「そうか〜?」と話した会話で私訛ってた?と気づいたのです。新しい友達にはすぐ打ち解けたのですが、勉強面で特に英語とプールについて行くのが大変で、夏休みは夏期講習で泳げない私が猛特訓でなんとか泳げるようになったのですが、小さい頃から習い事で泳いでるクラスメイトには敵わずいつも授業では一番最後でした。当時の青森には歩くスキーの授業はあってもプール自体学校になかったのですから当然ですよね。でもその経験と何回もの引っ越しが私のメンタルを鍛えてくれたとも思っています♩
高校は普通の学生生活を送り短大卒業後、営業事務、バスガイドの経験経て、学生の頃から好きなメイクをする仕事に就きたいと思い、当時から好きな国産メーカーの試験を中途採用で受けました。当時は頬がリンゴのように赤かったので面接の時の志望理由に「頬の赤みに緑のコントロールカラーが好きで愛用しています!」と言ったら試験官に笑われたのですが、今思えばその発言で合格をしたんだと思っています。配属先は百貨店部でしたのでキラキラした職場で様々な経験と多くのお客様をマッサージやメイクでキレイのお手伝いをさせて頂きました。華やかな反面土日は一度に3、4件注文を頂いたり目まぐるしくあっという間に一日が過ぎて行きました。長男が生まれるまでの17年間はお客様、上司や同僚の皆様に沢山のことを学ばせて頂き感謝しております。
退社後、旦那様の仕事の関係で豊川市に引っ越して参りました。豊川市はお野菜も新鮮で子供の施設も充実しており、小さい子供を育てやすい市で元同僚のママ達が遊びにきたときも遊ぶ施設の環境が良いねと驚いてました。そんなとても良い環境で知り合った長男のママ友に、マッサージやメイクをして喜んで頂いたのがきっかけで、もっと多くの方をキレイを通じて家族までも幸福になるようなサロンを目指して4年前に開業致しました。
これからは一人のお客様とじっくり向き合い、キレイに導いてお客様の人生を変えるきっかけになれる場所へ…今までのお客様からも、長年悩んでた肌も改善されて「こんな日が来るなんて…」とお喜びのお声を頂いております。これからも一人一人のお悩みに寄り添いキレイへ導いていけるよう励んで参りますので宜しくお願い致します。